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【SMAPと小林幸子と共同体】と【真田丸】 [雑感]

ゲーム理論の経済学者・松井彰彦さんの【SMAPと小林幸子と共同体】なるエントリーは面白い!

一連の騒動を共同体と市場のせめぎ合いとして展開。吉本のように末端の芸能人を支える事務所体制をはじめとした【共同体】社会は独立を許さない。責める誰をも縛り付け、助け合い、せめぎ合いは緩い。SMAPの解散に反対したのは共同体に属する人々で、ネットでは共同体に属さない人々なので独立を擁護したのだという。

西欧は【契約→市場】社会。過酷な競争に勝ち抜いた成功者だけが食べていけてセレブになれる、という構造を持つ。

善悪ではなくてシステムの一長一短。
意見や倫理はどのシステムに属するかで決まるのね。

弱いものを定常的に守るのはどちらか?
【共同体】システム。法ではなく情が守る。

そして、より良いものを作り出す共同体は?それはもちろん【市場】システム。
弱者は権利契約で法として保護される。

(自己解釈: 人間として与えられた能力を高めることをミッションとしたキリスト教がベースのシステムだからより良いものを産み出すシステムになるのは当然。それを望む意思が人間を創り上げたのだから、それを果たすのは当然という理由による。ただ、表裏一体の欲がそれを阻むという宗教での制止が、一定の社会や市場では働かなくなって優位主義の曲解を生んだり無軌道に新自由主義を生み出しているのが現実なんだろう。

・場にいる者を平等に守りあげる為に、序列を必要とし排除を産む共同体システム
・能力を高める為に、契約権利を死守し格差を産む市場システム

まさにユング心理学における、
・包み生かし、包み殺す母性性と
・高めて生かし、斬り刻む父性性
の創る二律背反的な社会の特徴が絵に描いたように創り上げられている。)

そして、松井さんによる小林幸子の紅白出場のとらえが秀逸!
一旦【共同体】から外され干されたのだが、そこに属さないネット社会が、小林幸子をラスボスとして持ち上げていき、紅白という【共同体】の場に押し上げたのだという。おぉ、面白い。

なるほど。こういった構造の流動は見逃しちゃダメですね。 松井彰彦氏に感謝!


そして、【真田丸】では、生きていく為には主人を変えてなんぼ!の戦国時代が如実に描かれ、今の【共同体】システムは日本の伝統などではないことをはっきりと示す。戦国時代末から徐々に、一旦外されたらどこでも採用がなくなるシステムが作られたとNHK歴史ヒストリエ。そして【共同体】システムは江戸で完成され、弱者全体を守り、生かさず殺さず、序列を必要とし被差別部落を産んだ。

丸山議員のオバマ大統領=奴隷発言から見られるように、キリスト教的な、所属に関わらず人間の権利を守るという契約システムに属する弁護士であっても、日本の平等をベースとした共同体システムが必要とする“序列”の呪縛から逃れられておらず、欧米が身分差別があるからこそ築いてきた“公共”を履き違えてしまっている、今の日本の社会構造のベースが見てとれる。

そのズレを指摘できるだけの視点を私たちは持てている。日本の社会構造の変遷が何を産み出すのか。これからも注意深く見ていきたい。


http://www.asahi.com/sp/articles/ASJ2D5S68J2DUPQJ00C.html
※空気読めよ〜日本人の宗教観とは


司馬遼太郎の遺言 [雑感]

誇るべき武士の精神は明治を形作ったが、翻って昭和では、個々に宿る公に投じる精神が「反論すると面倒、公の利に外れそうだ」と判断するや黙りこむことにつながって、軍部に権利を与え、日本を焼け野原にした。

熱狂することは、恐ろしいことだと思う。

司馬遼太郎にそう言わしめたあの時代を、再現するのは人々の記憶のチカラと考えるチカラが無くなった時なのだろう。

ヒトラーは「真の標的を逸らし、敵を作り反復すれば人々は容易に熱狂し戦争は作れる、私を何故止めなかったのだ?」という旨を話したという。反知性に流れこんで、前時代に戻ろうとすることを望むのは、それぞれの民族にとってどういうチカラなのか。それを押し留めるものはどういったチカラなのか。

ルーツを知るのは本能。日本人論をひとつのライフワークとおいて、もう一度読み解いてみても良いと思った。


そして、そう思わせてくれたNHKに対して感謝したい。

気のせいなのかもだけど…1月に口座振替の手続きをしたのに受信料の請求が来たので「トップが活躍する映像が反復されるのは不快なのでなんとかしてください。」とメッセージを入れ込んだ。その時から流れが変わった気がしている。アクションしても無駄ではない実感がなんとなく得られた。微々たることなんだろうが、こういうひとつひとつが流れを変えることは間違いないんだろう。

没後20年。一瞬でも、司馬遼太郎の遺言に応えられていた気がする。



【NHKのHPより】

作家・司馬遼太郎の作品『この国のかたち』を読み解きながら、“日本人とは何か”に迫るシリーズ。第2集のテーマは、“武士”。司馬が注目した鎌倉時代の武士。

私欲を恥とし、 他者に尽くす“名こそ惜しけれ”

の精神は、武家政権の拡大とともに全国に浸透、明治国家という奇跡を生み出す原動力になった。それは昭和の世に何をもたらしたのか?俳優の香川照之さんがナビゲーターとなり、武士が生んだ日本人の「かたち」をたどる。

http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586728/index.html
2/18深夜午前1時再放送
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神話を後押しする現実主義 [雑感]

自然災害に溢れる日本。自衛隊を海外に派遣して大丈夫なのだろうか?
絶対数を増やせばよいのか?

復興とオリンピックじゃないけど。名誉がなく利益がないことはやらない、という方向だということがわかりやすい。戦時中、焼夷弾やらガソリンが落とされても自分達で消せなどという[防空法]と称した命令があったけど、今後自然災害もその道筋にしかねないと、政府動向をみて思う。

米国にとって日本の憲法を軍事で書き換えて民主主義に持ち込んだことは唯一の成功体験。その正義の成功体験を繰り返したいが為に、唯一の成功例の国を軍事国の道筋に持ち込んで行く矛盾。民主主義の名を借りて帝国主義に推し進むことが自国で実証されるのに、まだその正義に乗ろうという帝国主義的思考がバカバカしい。

鎌仲ひとみ監督
「原爆投下は正当だった、おかげで最小限の犠牲で済んだ、との見方がアメリカ国内では根強い。原爆を正当化する心理と、戦死した日本兵を英霊と呼ぶ心理はどこか通じたものがあるように思われる。」
日本官僚「共和党政権だったら靖国に参拝しても干渉しないのに。」二つのアメリカのうち、ジャパンハンドラーである共和党の側、今は神話の側に霞ヶ関はあるようだ。
米国のいいなりで敗戦国だということを如実に突きつけられているのに、それによって日本政府内部では終戦で留まり、旧日本軍の正当性が保たれ、神話に埋没できる構造は実に巧妙。暴力をまとう神話の魔法はすごい。 ただ一つはっきりしていることは、どの国も誰かが利益追求をしていく以上、誰かが負荷を負わねばならず、その負荷から目をそらさせ、国家の名目の保つ為には軍事が必要だということ。正義という名目は後からついてくる。 長いものに巻かれることを大人とみなす国民性。それを現実主義とみて、思考停止するか、考え抜くか。
戦後、考えないことをテキストとして推奨、誘導されたからと従わなくていいと思う。 日本軍は、エネルギー補給をする後方支援船を叩かれたのが致命傷になった。敵国の後方支援軍を叩かなかったのは、そんなことをしても昇進せずに恩給が出なかったから。恩給という誘導で結果的に墓穴を掘っていきやしないか。 プラトンではないが、洞窟の中の名誉や賞賛を現実のアイデンティティーや食いぶちとして、現実主義に走ることは、またもや敗戦へのリフレインにしか思えない。 帝国主義は分割して統治するので極論を配して分裂を促し、生活保守をけなしながら、正義という名目はのこのことついてくる。 愚かなものは帝国主義的な分割手法にしかけられた極論に真っ先にのるものだ。右に傾いたら左にふれるバランスと分割は同じだとは思えない。意見の対立を悪いものととらえる国民性。分割に持ち込まない知恵も試される。 もう一度、考える。現実やら、長いものに巻かれることを大人とみなす国民性。弱者を見殺しにしているから共同体の目的をないがしろにして現実主義になる。食いぶちと組織の存続を目的化し、現実主義を言い訳にした思考停止は、弱者を見殺しにする神話を後押しする。その現実主義をどう考えるのかは、ひとりひとり次第なんだろう。

成熟した社会の行き先を描くのは [雑感]

安保と国立競技場を考えてリフレイン。

『原発という国策はじめ、公共事業と徴兵もどきで解消する問題は、ともすると【国家が暴力と共生することで成り立つことを(更に)証明していくのかもしれない。】それらは低所得層の社会補償の代替機関として機能していき、高所得層の既得権益を充足させる。』


文科省には【公共事業】国立競技場の為に支出できる財政的余裕はある様子なのに財政難を理由に奨学金制度が進んでないのはどういうことー。

貧しい奨学金制度は米国も同じらしく救済として軍への入隊の道があることで人材を確保しているわけだから、格差拡大のシステムをわざわざ移管している日本も貧困層を残して軍隊へ誘う可能性も高いと考えておかしくないのよねー。

そもそも国家は暴力がないと成り立たないもので、それは拭えないのはわかる。
それに関する命題は『永遠の0』を観たりして多くの人が徴兵の諦観を経験したと思うけれども、好き嫌いとは別のところにあるのよね。この命題。そして戦争の名残は続いていて、米国の暴力と共生することで国家を成り立たせてきているのもわかる。

【公共事業】も同様で、公共の利益のものに自然破壊と生活の破壊と利益の拡充と雇用という救済とを併せ持つ。嫌がる仕事への従事、破壊や分断を作るという意味では暴力と置いてもいいのかな。大昔に決めたもので現状に合わなくても『決まったこと』が最大の理由で理解しろと強要する事例が多くて、ローラーで否応なしにならされてる印象が強いもの。


【国家は暴力と共生することで成り立つ】これは大前提ということは抑えるべきなんだろな。この大前提を踏まえた上での監視が必要ってことなんだろうと漠然と。そして、米国は警察という暴力の暴走を経験してるわけだし、ベトナム戦争などの暴走に巻き込まれた経験から監視するスキルをもったわけだけど、日本は?
WGPも有って『戦争はしない』で固まっちゃって本当の監視スキルが上手く機能しなかったのかもとなんとなく。

安保闘争のおかげで現首相の祖父を下ろしたことで軍事から経済にシフト転換できた功績と九条による暴走の歯止めを踏まえつつ。

日本のスキルは…これからなんだろうな。

【公共】のものとして出すお金は自分のお金じゃないし、お膳立てされたものを会議で発表する文化の根強い日本では、一度決めたら止まらない。大昔に決めたもので現状に合わなくても理解しろと強要するし、日本は破綻に向かおうが止まんない。そんな国(笑)。国立競技場のくだりに加えて、戦争を終わらせる為のお疲れ物語も観てきたから。つくづく思うわ。
映画『日本のいちばん長い日』阿南氏が額縁に掲げた言葉が象徴的。。。

(国立競技場については、これでやっと責任をなすりつけ合う姿をみなくて済むようになりました。騒いでくれたセンス。ナイスプレーに感謝!国民の無力感も拭われた。そして白紙化は皮肉にも安保のおかげ?成功劇場を流す放送もみれました。)

ほんと、たまたま知れたから良かったけれども、そーんな魍魎の巣食う国策に巻き込まれたくなかったら、監視スキルを磨かないと子どもに申し訳ないなーと思う。

格差を産むことで人が嫌がることをやらせて救ったり、神話で正当性を強調して嫌なことをやらせて救ったり、ナショナリズムで煽ったり、ヒーローを作ってあの手この手で、暴力と共生することを調教していくんだろな。暴力さえあれば、ツケを後回しにしてもごまかせる。そして【公共】の役割を幻想の家族に移管して強要したりもする。
こういう暴力的な要素を【公共】って言葉は含むのよね。

【公共】の良い要素、オリンピックの遺産理念みたいに、雇用の拡充やら、暴力よりも循環にシフトして欲しいもの。

『日本は循環の文化』という原点に戻って考えてもいいのかもなー。



もう一度…
国家に年齢かあるのなら、身体は老朽化しているのに精神はまだ『坂の上の雲』を追いかける少年とは言えないだろうか。それでも生きていけるのはツケを後回しに加速させるマジックが暴力の中に含まれているから。


国立競技場に米国は関係ない。
安保は中国に手の回らない米国と属国日本との約束。成長は米国からの命令。国家は暴力と共生していくもの。その暴力の質を見極め、向き合い方を課題としよう。

芥川賞も話題になっているし、芥川龍之介の『ももたろう』もよさそうなテキストかな。




☆☆☆ http://anyuko.blog.so-net.ne.jp/2012-12-06

『成熟した社会の行き先は?』

[新月]自民、過半数超す勢い…衆院選情勢10万人調査 (読売新聞 - 2012年12月05日 )だとか。

右傾化?ダンス規制やら風営法の取締も加速するかも?
鬱憤がたまると右傾化しがちなんだとか?うむむ


原発という国策はじめ公共事業と徴兵もどきで解消する問題は、ともすると【国家が暴力と共生することで成り立つことを(更に)証明していくのかもしれない。】それらは低所得層の社会補償の代替機関として機能していき、高所得層の既得権益を充足させる。
いじめと救いがない交ぜの教室に似た平衡。大多数はそこそこ気分のよいものを充てがわられればよい。

暴力を監視するのが国民の役割と、社会学者、野村一夫氏は説く。http://www.socius.jp/lec/21.html
が、公の調和の為なら見て見ぬ振りが大人の振る舞いだと刷り込まれた日本人に可能だろうか。


☆天野祐吉さんのコラム抜粋
「経済成長の達成を公約に掲げているのには驚いた。20世紀の成長市場主義の弊害が世界のあちこちに現れ、時代テーマは「脱成長社会」。今の成長は人間の為の成長ではなく、成長の為の成長に成り果てている。そんなまやかしの目標より、政治家に聞きたいのは、明日の日本像だ。あすのぼくらが住む国の「物語」である。成熟した社会であることを受け入れた「老楽国家」の提案も物語の一つだろう。成長にこだわるから大量生産、大量消費の歯車を回す必要が出てくる。本当に欲しいのは甘い言葉?」


国家に年齢かあるのなら、身体は老朽化しているのに精神はまだ『坂の上の雲』を追いかける少年とは言えないだろうか。それでも生きていけるのはツケを後回しに加速させるマジックが暴力の中に含まれているから。見て見ぬ振りは日本では大人の証。そして、たまに老いた姿に向き合えない幼稚な心に自分で驚くという次第わかしら。
こんな物語はいやだなぁ。

あ、ちょっと待って、老体の物語は日本は得意ではなかったのかしら?
「昔々あるところに、おじいさんとおばあさんが…」

誠実な物語が欲しい。

【追記】リフレイン
***空気読めよ〜。日本人の宗教観とは  http://anyuko.blog.so-net.ne.jp/2012-06-03
***宗教国家日本   http://anyuko.blog.so-net.ne.jp/2013-12-30
精神的にリーダーをおかない中空構造を持つ日本。そこに、自覚なく絶対的な仮初めの父性が自立を掲げて来た時は注意しなければと臨床心理の権威、河合隼雄氏が警告していた。理由はよくわからなかったけど秘密法案を通してわかって来た気がする。

     絶対的なものを、あいまいな中空でくるむのが美点だったのに、仮初めの絶対を、根拠のないあいまいさを持って空気が絶対的たらしめてしまう。

そういうことかぁ。
例え国家と暴力との共生を認めようと理屈で考えようとしても、侵略はなかっただのと暴力の暴走を認めず、神話の中に没入していく思考との齟齬は大きい。
***
中空に狂気という絶対が入りこむことの危険性を忘れていいの?日本文化への愚弄な思える。安保もだ。


矛盾があっても成り立つ今の政権の空洞と日本人の中空構造の融和 [雑感]

空気で物事が決まり、誰も責任をとらず、二大政党が成長せずに、和洋折衷のように対立しがちなものを取り入れて融合させてしまう国、日本。

この状態をユング心理学者であり、臨床心理学の権威、故河合隼雄氏は神話から読み解き『中空構造』という視点で説明しているんですね。100分de名著『日本人論』で更に整理できて嬉しい限り!後半に文字起こしされている方の秀逸なブログ内容を貼らせて頂きます。

ユング心理学は神話や童話などの物語から、民族の普遍的な精神構造を読み解いてきた学問。一人一人の物語→←現実との関係性から人間を見つめ、臨床心理の現場の理論として発展して行きます。

で、私たちに受け継がれてきた精神構造はというと、
日本の神話『古事記』には三神が登場するのですが、一番重要な真ん中に位置する神が、なんと何もしない(笑)

その意味は?空であることで対立しがちな二項をうまーく調和させるんだそうです。

西洋的な弁証法だと正・反・合という止揚の過程になるのだけど(童話の結婚での終焉もそうね。)、正と反は巧妙な対立と融和を繰り返しつつ、あくまで「合」に達することがなくてぐるぐるまわるんだとか。

世界的にも特異な神話らしく面白い。

斎藤環:そこに重きを置くことになっているんですね。リーダーシップも「神輿は軽い方がいい」と言うように、リーダーが強烈じゃない方が上手くいったりする。

うんうん。

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伊集院:その空は白黒でいうと灰色?
中沢新一:いや、全ての色になる。

空なんだけど何にでもなるエネルギーを持っている、な〜んてまるで、宇宙のダークエネルギーみたいな位置づけじゃないですかー!!!予言?つながっているかもー?
なんてこじつけて喜んでみました(笑)


相手を受け入れて悪く言うことを避ける私たち。その通りだなぁーと自分たちの良いところを番組で確認したわけですが、

著作では中空構造を自覚しないままでいるとおかしなことになっていくよ、と河合隼雄さんは続けます。

困ったことがあった時、その中空に性急によくわからない父性が入り込んだら、めちゃくちゃになるという警鐘です。

そこで 見渡すと、もうネット世論が先駆けになってその予兆があるみたい。
原発事故は原因を作った側ではなく大きく騒いだ方が叩かれる。
ベビーカーが叩かれる。
セクハラされた方が叩かれる。
社会を壊す暴力を自由と称して振りかざし共同体の社会としての価値をわざわざ下げる
ここのところの、あえて分断を作る父性の正体はなんだろうと考えたら…。

人質を自己責任論で片付けるネット世論。現政権サポーターの皆さん。一見強い父性に見える自己責任論は何も施せない言い訳だったりしますが…そうとはしない動き。相反するような政府会見。一生懸命なのに周りが騒いで不謹慎だという感情に頼る正論。自粛令。あるいは救う為には派兵でもよいという流れを作りたい動き。
そして屈することなく救うべきという感情。民意。
こういった相反し矛盾して分断させているものを全て自らの要素としているのが、今の政府。
ある意味すごい!

これも全て空洞だからと考えると納得がいく。自然発生的なのかしら。

野田氏は空洞だ、今はもっと空洞…とは誰の言葉だったかしら。なんか言わされているようにしか見えないからなんでしょうけど。

○○ちゃんだから仕方ないで物事が進むのが「○○ちゃん問題」と指摘されているけれど、上滑りな台本を立派に読むだけの軽ーい神輿が、ものすごーく日本の精神構造にマッチしているからこそ、中心として入りこんでいる気がしてきました。フランスの極右政党が羨ましがるわけでしょう。経済だけでなんとかそこにいるだけじゃなさそうです。

すごいなぁ。

タレントで、あ、これ言わされている、叩かれてへんな空洞になりつつあるんだなぁ…なんて方がいてつまらない。タレントがつまらなくなるのは本当に迷惑なんだけどこちらは超越している。

外交はほぼ『反応』で行われていて母性原理がベースなのは元々らしいですが。その理のない、がらんどうに対しての無自覚さが怖い。理のないところで虚勢をはりながらの暴力がベースになっていることがもう母性原理で動いている父性であることを証明するのだが。立憲主義をはじめとした理という父性原理と対峙することが、中空構造への自覚の手段か。

経済政策と言ってもいいなりで奴隷真っしぐらじゃなくちゃいいなぁ。
『テロより社会に殺されかねない』のは今もかもだけど、社会の劣化に加えて古き良き日本の中空構造が取り戻せなくなったら?  どうなる?
真面目に困るなぁ。

誠実な現代の神話が欲しい。
そして私たちの中空にあるものを信じたい。



***転載
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/cd08a8a7a781e02c763171f635132499
 私がそう思うだけの話ですが、ある意味第四章の「日本の根源にあるもの」人類学者 中沢新一さんが選んだ名著鈴木大拙著『日本的霊性』から見えてくる「日本人論=無分別の活用」にも複雑に絡んでくる話しです。

 日本神話から日本人の精神と社会の特徴を読み解いていく、そこに河合先生は中空構造を見出してゆくのですが、「心と神話には関係があるのか」という竹内陶子アナの問がありましたが、実にいい疑問です。

 「想像力に形を与える」それが神話・物語の役割

 「そこにはフィクションかも知れないが普遍的な構造を持っていて現代の我々にも連綿として受け継がれているもの。」

 「神話の構造を分析すると現代日本の国民のあり方にもかなり大きなヒントがあるかもしれない」

と斎藤さんは語り、古事記の神の話に入ります。

 『古事記』という書物は本居宣長が『古事記伝』という形にするまでは、注目された神話ではありませんが個人的に、郷土史研究や古神道、民間信仰、また各地に残された神社の祭神研究をする中で大いに日本人の精神の形成、思想の形成に係わる書物だと思います。

 河合先生のこの『中空構造日本の深層』も当初から読ませていただき私自身の思想形成にも大きな影響を与えていると思っています。今回この番組をきっかけに『中空構造日本の深層』を再読してますとさらなる学びがありました。1月早々にとてもいい番組に出会ったものです。

<『古事記』神話における中空構造>

上記のパネルで語られる三神構造、松岡正剛さんの話しの後に中沢さんが、

【中沢新一】二元論だけでは世界はできませんよ、その奥にあるものがあって、だから三項必要でなんで、宇宙を作るには・・・。リアルに出ているのは天地、海彦山彦なのだけれど本当の根元は、バーチャル、日本の神話思考は。

【伊集院光】それを白黒で言うと「灰色なのか?」、白黒で言うと「無、無色のことなのか?」・・・。

【中沢新一】あらゆる色を生みだすものですね。

【松岡正剛】西洋の神は「在る」神だけれど日本の神は「成る」神で真ん中の神は、無いわけでもない。

【斎藤環】 作家の中上健次が「うつほ」という概念にこだわって『宇津保物語』という日本最古の長編小説があるわけですが、樹の「空(うろ)」の話です。その中でことなどを奏でる話で、それに近い話かと思う。中上さんは「うつほ」とはいろいろなバイブレーションがこもる場所だと言っている。中空だが色々なものが生成されてくる場所なのです。そういった意味では全くの空っぽではない、というところが一つの特徴といえるかもしれません。

【ナレーション】日本神話の中心は空であり無である。このことは、それ以後発展してきた日本人の思想、宗教、社会構造などのプロトタイプとなっていると考えられる。

短い4人の方々の対話の中に見えてくるのが正反合の弁証法の世界。

【斎藤環】 日本は三項がバラバラをとりながら均衡して進展してきている。

【伊集院光】二つだとどっちかがどっちかを亡ぼす形になるけれども、日本てぇ「まぁまぁまぁ」みたいな感じでずっと、こうなんとなく、白黒をあまりつけない行くという、神話のときから日本人の心の構造としてあるんだよと。この具体的なメリットとは何ですか、中空構造であるが故(ゆえ)の?

【斎藤環】ドンドン外来のものを取り込んでくるんですけれども、外来のものは外来のものだというレッテルを貼って共存していくのですごく柔軟なのだけれども一方で日本文化的なものも並行して温存されていく、けっこう器用なシステムになっていると思う。外来物(ぶつ)に圧倒されるのではなく、かといって排他的になるのでもない、何か調和しているといった感じですね。。

【赤坂真理】もしかして自然発生的にそっちの方を人間は取りやすいと思ったのですが、一神教は危機の時代に出てくる、ちょっと飛躍があるので、もしかして自然状態で・・・。

【中沢新一】自然状態だとこの思考方法が一番合理的にこの真ん中の中空といわれている部分があると、例えば対立したものがあると、その対立したものを中間領域に持ってきて、お互いの間でネゴシエーション(妥協を図る)ということが行なわれる。自分と違うものを排除するのではなく、相手の原理を内の中に入れてくることが可能になってくるのがこの真ん中の部分で、大きなことを言うと日本列島にはもともと縄文人がいたわけです。そこへ倭人というものが稲を持って入ってきてそれで今の日本人を作ってきた。争いの痕跡があまりないんです。それは縄文人が弥生式の技術を受け入れてるんですね。弥生といわれている倭人の連中も縄文の連中の神さまの考え方を受け入れているわけですね。ハイブリットを必ず形成していくというように日本人形成がもう3000年前からこれが行なわれている。
 ところがユダヤ教の場合は、モーセの、聖書を見ていると反対者を排除するどころか虐殺したりして、大変な苦難の歴史をたどっているから自分たちのユダヤ教という考え方と違う要素が入ってくることを許さなかった歴史がある。

【伊集院光】これがそもそも日本人論の主張として僕が興味深いところは、「平和ありき」の日本人であるという誇らしい部分が一つと逆に言うと戦いには弱そうだなぁ・・・。

【斎藤環】ただ敵のタイプによると思いますが、先のネゴシエーションして取り込んでしまって吸収消化してしまうということもひょっとして得意なのかも知れない・・・・。

【伊集院光】まぁまぁ上がってご飯でも食べてというようなぁ・・・。


<日本社会と中空構造>(日本の政治に見る中空構造)

【斎藤環】政治に絡めていうと二大政党制がなかなか成長しなかったとか、・・・そのようなことに関係してきますし、政治的なことを決定するときに、誰かが主体的に決めないでそこを空気に任せてしまう。御神輿も一人ぐらいぶら下がっていても分らないという感じで、話だけがドンドン荷台だけが進んでゆく、これも誰が運んでいるのか分からないが何となく事態が動いていくみたいな、これはまさに中空構造です。まさに中心がいないわけですから。特に戦後の政治状況にはよくあったなぁという感じがあります。

【伊集院光】悪い方でいうと何か事が起こって誰が責任を取るのだという(話になって)『俺言ってねぇよ。』というような・・・。

【斎藤環】リーダーシップも「神輿は軽い方がいい」と言うように、あんまりいろんな人が中心にくるということは少なくて、どちらかというと傍に・・・参謀が優秀で真ん中は空っぽで、参謀が動かしているモデルが日本型リーダーシップだと言われますよね。

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以上が、第三章心理学者斎藤環さんが選んだ名著は河合隼雄著『中空構造日本の深層』の前半の話で、日本の神話における中空・均衡構造と西洋型の中心統合構造の対比から見えてくる日本人論です。

『中空構造日本の深層』のJIS+2D35「『古事記』神話における中空構造」の中で河合隼雄先生は次のように書いています。

<河合隼雄著『中空構造日本の深層』中公叢書から>

 日本の神話では、正・反・合という止揚の過程ではなく、正と反は巧妙な対立と融和を繰り返しつつ、あくまで「合」に達することがない。あくまでも、正と反の変化が続くのである。つまり、西洋的な弁証法の論理においては、直線的な発展のモデルが考えられるのに対して、日本の中空巡回形式においては、正と反との巡回を通じて、中心の空性を体得するような円環的な論理構造になっている(同書p40)。

上記の対話の中にも出てきた正・反・合の話です。排中律を超える論理の段階が語られているように見えます。円環的な論理構造には円相の禅的世界があるようにも見えます。

 個人的には「<あいだ>を開くレンマ的論理」という山内得立先生の『随眼の哲学』を思い出します。

http://d.hatena.ne.jp/CultureNight/touch/20150103/1420267960


立憲主義って? [雑感]

立憲主義って、権力から民の自治と権利を憲法で守る考え方。

古い順に、①王の権力を縛る→②三権を分離して制御→③多数派意見を縛るもの、として強化され成熟してきたんだとか。


それを理解していない政権が、でこぼこで多様な意見を、もっともらし〜くローラーで潰しているようにみえる。


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制御するはずの宗教も報道も出版も、権力に取り込まれることに価値があるかのように振る舞い、権力を分離できず俗っぽい方向に行くことが日本の宗教性であることを端的に証明している。

少なくともニューヨーク・タイムズを読むような米国リベラル派やEUの知性派からは、未熟な共同体という烙印を押されていそうだ。

内田樹【アメリカの知識階級から日本は「自ら進んで成熟した民主主義を捨てて、開発独裁国にカテゴリー変更しようとしている歴史上最初の国」とみなされつつあることは記憶しておいた方がいいだろう。】New York Times の社説の翻訳→http://t.co/7mowhZlzTP


【追記】
右向け右の風潮に危機感を覚えている。ヘイトスピーチ団体が思想警察をして騒ぎ→カルトの特性を持つがゆえに議論ではなく無闇な分裂を扇ぎ→承認が褒美となっていくこの流れは世界からどう映るのか?

TVでマイケル・サンデルの白熱教室 「日中韓の未来の話をしよう」を観た。http://www.nhk.or.jp/hakunetsu/harvard.html 日中韓の学生間で冷静な対話が織りなされていた。自国の誤りに向き合うことは愛国心に矛盾しないとサンデル氏。議論を諦めさせようという意図の分かり易い物語に逃げていることが元凶。日本人の苦手分野らしいが、まず議論する知恵を捨ててはいけないんだろう。

ETVの白熱教室アンコール「お金と感情と意思決定〜経営学」〜デューク大、ダン教授の講義〜も面白い。私たちは考えたくないからデフォルトに誘導されている。それなのに選んだ理由をもっともらしく述べてしまうのだとか。
(その状態を【ソーシャル・プルーフ(社会的証明)】というらしい。)
米国人は異なる意見を言うことを是としているがアジアでは…。

http://www.nhk.or.jp/hakunetsu/behavior/140411.html
今のアジアは【議論することをデフォルトにする】努力が必要なんだろな、とふと思う。

日本人は理より情に流されがちだという特徴も知っておこう。ソーシャル・プルーフやら流される要因ばかりだ。作られたデフォルトは情と理を区分しないとね。行政のお膳立てを崇めていた日本文化(日本教)から離れる時期。思考や議論や表現をローラーでつぶし、道が平坦になったと喜ぶ権力の進む先を考えたい。


葛藤と俗化の間の物語『永遠のゼロ』と『ごちそうさん』とゴースト [雑感]

(1)『永遠のゼロ』のなにが問題なのかというと「戦争は批判するが、戦没者には畏敬を払うというジレンマに向き合わない、メロドラマに逃げている」という評論をみた。感情移入できる人物を見事に並べ、戦争の葛藤に気がつかせるのだが、最終的にその葛藤を情に流しているのだという。物語の偉大さを示すと同時に物語のいいところ悪いところの両方、両義性を表しているようだ。環境の横糸を利用しながら、情の縦糸を際立たせる構造。【情に埋没させることで葛藤から救済する物語】でもあるのだろう。興味深い。


(2)『ごちそうさん』は戦争に内在した葛藤を感情移入させながら淡々とエピソードで紡いでいる。例えば、主人公の夫は大阪の市役所の都市計画部門に勤めているのだが、戦中の防火訓練の際、ガソリンをかけ始め「こんなもんじゃない。ガソリンが降ってくるんだ。逃げて下さい。」と叫ぶ。事実、焼夷弾はガソリンをゼリー状で固めたものなのでその知識を持った彼は考え抜いた末にその行動に至ったわけなのだが、組織の一員として[逃げずに消火し街を守るべし]という誰のためかよくわからない【防空法】に反したとして罪に問われる。空襲は怖くないという噂に安心を求めていた主人公。涙して彼をバカなことをしたと責めながらも間違っていないと褒める主人公。そして罪に問われて彼は去り、残された主人公は彼の作った地下鉄によって焼夷弾から救われる。(地下鉄解放は職務違反なので語り継がれていないが心斎橋で救われた方の語りが残されているので事実のよう。)
彼は「人を守る街を作る」という自分に与えた天命を守り抜いた、という物語になっている。「彼の生い立ちも含めて今まではこの伏線?」と友達。そうかも!

日々の生活を育むことも見据えさせながら、『公共性を持った個人のミッション』を大切にする基督教的な要素が【目覚めを産む物語】。恋愛も幻想で終わらせないところも興味深い。情を含んだミッションの縦糸と生活と環境の横糸が鮮やかに配された和服のよう。情が葛藤を気がつかせる構造だ。


(3)『ゴーストライターと佐村河内守』原爆や難聴の悲劇という情を利用しての自己プロデュースへの没入が醜悪であることを教えてくれている。ゴーストが一般化されていて騙される方が悪いのだとしても。
[松本智津夫もそうですが本来の自分とはかけ離れた自分が主人公の物語のなかでは倫理や良心の境界を超えやすくそれになり切れることで、周囲の人間を巻き込む強い力を持つんだと…]とコメントをもらったのだけどその通りなんだろう。
本来の自分とのかけ離れることで、自分と向き合わなくて済む。自虐も含めて責めてくる何かから、守れば守るほどの【防衛の為の肥大化した物語】は強大な力を持って周囲の救済にも接続する。

それは前回の日記の「共棲的服従」に繋がってくるんだろう。
芸能絡みならお騒がせしましたで済むけれど、それが民族のプロパガンダにつながると最悪なので気をつけたい。「国家が国民の面倒をみませんよ」という時はナショナリズムがセットなので、それ絡みの神話にも注意だろう。さらに「相手を蔑むことで自分を輝かしくする物語」までプラスすると醜悪に醜悪を重ねるのだが…その点は大丈夫なんだろうか。蔑むほど格が下がるというものだろうが、物語の作る価値観がそれを自覚させないようにみえる。



物語のなかでも、ファンタジーとは『ゆきて帰りし物語』が定番であるように、物語世界に行くことで、創造性を持って現実を破壊して再構築することで精神性の回復をはかり、現実に向き合うチカラを得る、という働きを持つのだが。(3)のように葛藤から逃げて都合のいい物語(神話)のなかに生きようとするならば、現実とのずれが大きいほどに奇異なものになるようだ。…はたからみると。(はたから見ているうちはいい。)
ただ、ファンタジーは現実に絶望した時の休憩所なので完全に否定するものではないのだけれど。
いや、すでに共同体が狭い世界の狂った物語のなかにあるならば、奇異に映るものの方が現実を見据えているのかもしれない。

『ファンタジーは現実を知っているから作る世界で、子どもの為のものではない。』と上橋菜穂子さん。
閉塞感が産み出す逃げ場になってはいけないんですよね(*_*)



(1)感情移入で現実の葛藤を気づかせてまた情に流して救済する物語。
(2)感情移入で現実の葛藤を気づかせる物語。
(3)現実を覆い隠すために再構築された物語に入れ込む為の物語。

これら毒にも薬にもなる物語だが、次に日本の宗教観や文化との関連も考えてみようと思う。

ここで思い出されるのは
【一神教で絶対善を心にもつ諸国は原発や凶悪犯罪など荒ぶる神に向き合える。それに対して、日本ではそれら荒ぶる神をも俗化してしまう、これがあると儲かる、働けるというポジションにして「荒ぶる神」という意識を取りはらっていた。】
という【俗化するチカラ】の話だ。

絶対的なものに対して①祀る②俗化する(真似する)③対峙するという内在化と④在り方自体否定するという選択肢があるとすると、まず日本人は②を選択するようだ。

日本は〜極悪人にも理由がある…哀れだ、という物語が多い、[倫理より道徳]=理(事実)よりも皆の利益が優先、行政の宗教利用、権力が絶対だからこそ分散し縛るという立憲主義の発想が根付かない、3D貞子(笑)、海外ではあり得ない神のキャラ化『聖おにいさん』が例かな?

そして、「荒ぶる神」=現実にそびえる葛藤を絶対的なものとすると、それが大きいければ大きいほど先ず俗化を図ると言い換えられるだろう。

そういった傾向から考えると、⑴の『永遠のゼロ』といった「葛藤に向き合わず情に逃げるメロドラマ」は、「向き合うべき葛藤を俗化しての昇華」であって葛藤に向き合わない為のツールとしての物語。日本だけの大ヒットは当然なのかもしれない。

お、ここに「STAP細胞」騒動。
論文の公表に際しての騒ぎに対しても「海外の報道は開発への期待と倫理面の問題点を大きく取り上げているのに、割烹着のリケジョ報道が大きいのはおかしい」という指摘がなされていたことを思い出す。まさに象徴的な俗化ではないだろうか。

俗化の作る物語は楽しみを与えてくれるから悪いとは言えないし、絶対善があるからいいと言うものでもなく、絶対神を持つことの危険性、強いものの詭弁の気持ち悪さを備えるのは宗教紛争をみても明らかなのだけど。
このところは、『日本人の俗化する国民性、宗教性』にあまりに無自覚なのが問題なんじゃないだろうか。
さしあたっての問題では絶対的権力に伴う葛藤を、金銭による俗化で目がくらませている間に、物語のなかに入れ込もうと何かが手ぐすねを引いているようにみえるのは気のせいと言えるんだろうか?
豊かな俗化が単純なナチスや中国の平板な全体主義国家内でのつまらない文化に入り込むことに加担していないか?


大切なことをファンタジー『獣の奏者』(著:上橋菜穂子)から学んでみよう。

[新月]俗化と物語をひいて見るために共同体の境界に行くことを恐れないこと。

[新月]物語の役割を区分してみること。

[新月]物語による葛藤の俗化を疑問視すること。

[新月](2)のように『公共性を持った個人のミッション』を胸に葛藤に向き合うこと。

あとは何があるだろう。
教えて下さい。




西門悠太郎さん(東出昌大)が逮捕される!その背景に 「防空法」 が
http://osakanet.web.fc2.com/bokuho/gochisosan.html

大空襲 一夜の奇跡 地下鉄・御堂筋線
http://www.asahi.com/kansai/travel/ensen/OSK200912260039.html

空気読めよ~。日本人の宗教観とは。…俗化の背景
http://anyuko.blog.so-net.ne.jp/2012-06-03

追記『一神教と国家』中田考・内田樹:著が面白そう!

『愛するということ』『自由からの逃走』エーリッヒ・フロム [雑感]

大雪です。各地で事故、孤立、立ち往生…祈るしかありません。無理して雪道を移動しないで>_<…
いのちあってこそですからね!

さて、対処の仕方にあるべき共同体のカタチが見えてきそうなものですが、公共放送はオリンピック優先ですか?自衛権優先ですか?
『愛』を求めているだけで、与える『愛』を備えているのか、見続けましょう。

ということで『愛』を勉強してみました。


エーリッヒ・フロム『愛するということ』
100分de名著 
第一回「愛は技術である」

現代人は資本主義市場での“好都合な交換”に慣れているため、相手が条件にあうかどうかばかりを気にしている。そして“恋愛市場”のどこかに運命の人がいると思っている。果たしてそれは正しいのだろうか?フロムは、相手が見つからないのは、その人に他人を愛する力が足りないからだと言う。第1回では、愛には技術が必要であることを学ぶ。(HPより)

恋愛には加えて出会いの場が必要かな。でもこれ、男女の恋愛だけの話じゃなさそう。

第二回「傷つくのがこわい」

ユダヤ人として2度の世界大戦を経験したフロムは、ファシズムの心理と恋愛には共通点があると考えた。他者と一体化したいという願望の対象は、個人間の関係にとどまらない。民族や宗教など様々だ。人間は自分を集団に融合させることで、孤独を忘れようとする習性があるのだ。第2回では、愛を通して人間の負の側面を見つめる。

自由の孤独に耐えられないから、絶対権力に服従しようとしてしまう私たち…。
孤独から抜け出す手段として①祝祭的興奮②集団への同調③創造的活動 が挙げられるのだけど、一時的なもの。
だから『共棲的服従』に突き進む場合も!
〜お互いが孤独を埋める為のSMの共依存関係に陥ることもあるんです。

そしてそれが社会にまで発展することもある。
大きな力に支配され不安を解消したいので民衆はマゾヒスト化し、他人を支配することが生き甲斐の権威主義的なサディストに夢中になる。

それがナチス。孤独から逃れたいという欲求は、国家や国際社会を破壊する大きな力になったんだそうです。

自由の究極が孤独で
それに耐えられないから
集団を求める。
全体主義に突き進む。

お互い寄りかかるから関係が成立してしまう。

●サディスト…自分を崇拝する他者を取り込み服従した人を自分の手足として使う。
●マゾヒスト…自分を指示し命令し保護してくれる人物の一部になりきることに快楽を感じる。

とまとめられ弱者強者、善悪ではなくてお互いが求めあっている。

(フロムは民衆が全体主義に突き進んだ理由を心理学的立場から分析したベストセラー『自由からの逃走』も書いています。)

お任せの方が楽。集団同調で不安を解消する愛国は世界で時々現れるものですが、まさに今、日本でも。

『愛国』国を愛することは大事だけれども、その名のもとに自分たちを判断が失われていないかどうか、はいつも考えていないといけないということ。
愛国に委ねる原因の一つとして孤独から脱出する為になっていないか、考えた方がいい。

そこから抜け出すために必要なのは?
『私たちには、もう1つの道が残されている。それは、他者(社会)の中にありながら、なおそこで愛情を感じつつ諸個人が十全に自らでありうる社会関係を見出すことである。』
人類全体への愛がないと生き延びていけないのだから。

以上

次回三回めは「生身の人間と付き合う」愛されることばかり求める現代人に人を愛する技術は身につくのか?
がテーマ。面白そうです。

◎意味はよく取れていないのですがオマケ
「愛とは、自我を相手のうちに解消するものでもなく、相手を所有してしまうことでもなく、相手を自発的に肯定し、個人的自我の確保のうえに立って、個人を他者と結びつけるような愛である。愛のダイナミックな性質はまさにこの両極性のうちにある。すなわち愛は分離を克服しようとする要求から生まれ、合一を導きしかも個性は排除されないのである。」


【雑感】
「いいね」で『承認欲求』を満たしてどこか孤独感を晴らす自分を振り返ると、隷属者たちにとっても承認欲求を満たす手段が他にないと「共棲的服従」から抜け出せない恐れを感じます。

SNSの数の承認とニーズがより強い「集団回帰」を誘導しあっていて『所属欲求』を満たし、(いいね)やRTに隷属…。マズローの欲求段階の二段階を安易に満たすSNS。何処でもいいから承認してくれる場所へ連れ出して、孤独からの引き剥がして欲しいという欲求に隷属してしまう。孤独を晴らせる快楽の中毒性に乗って、強大な権威との一体化をより強く求めるようです。その欲求があるからこそヒトラーのような人が救済者として自然発生するのかもしれません。

マゾヒストですか…統治権力の根にある暴力性を掲げれば掲げるほど、ニーズがあるさまは、まさに隷属への快感をそそる結果になっているのかもしれないですね(・_・;

理を作り出すはずの個の分離が、孤独を作って、分離した個による自由が競争と格差を産んで、反動としての統合が無用な差別と極端な隷属を産んでいる。
分離と統合の負の要素をかき集めるのが、全体主義ということなんでしょう。

また、隷属の根拠を削がれると快楽が得られないので、教義を繰り返し、必死で異論を否定して回る姿は、異説を論じ合う学問のカタチを否定しているので厄介そうです。

そして、共同体も
「社会」から外れたところで経済や国家を回す為に必要な物語を「神話」とおくと、
『神話に権威を感じ没入する仕組み』が随所にあって抜け出せないようです。経済優先神話、安全神話…。

そこに共棲的服従はないかしら?神話が隷属させる為の物語になっていないかしら。
その神話を呑まずに考える。事実を恐れない。
「集団」が「社会」的であることを意識することが大事なんですね。
「社会」を意識することも、愛する技術なのかもしれません。

あと『集団の境界に行かないと見えてこない』
これもヒントかな。

共同体存続物語の矛盾は境界にいてこそ見えてくる。ちょっと外れてみて俯瞰して、同調に甘えず論じあってみて、ちょうどいいのかもしれないです。(上橋菜穂子さんの『獣の奏者』はそんな話でした。読み返す意味がありそうです。)

また、水曜日も雪なんですね…。雪害が拡がりませんように、切に祈ります。

【追記2/21】
追加の積雪が無くてホッとしました!
食と暖と情報って本当に大事ですね。各家庭、自治体単位でも備える必要がありそうです。
火山灰が降ったらの備えもしてあるのかしら。電子機器類が突然フリーズするんですよねσ^_^;
日本は自然からの安全保障も必要なんですね。地震に噴火に津波に竜巻、大雪。学校設備などの公共インフラは新築でなく、補修で70〜80年もたせる方向ですが…。お金の使い方で共同体のセンスと質がわかりそう。センスのある活動は応援したいなぁ。

それから、『共棲的服従』に都合のいい『反知性主義』に流れているという話もあるんですね。服従の恍惚には知性は必要なくて、むしろ自分たちを置いてけぼりにした、知性や芸術を恨んでいるような勢いなんですね。明治後の天皇制はキリスト教の原理主義の真似と帝国主義の体現。中途半端な愛の概念と占有意識を知った時期に戻ってどうするのだろう。自由と資本主義の閉塞への答えがこの時期にあるとは思えないんだけどなぁ。


神話に埋没してみせる勤勉で凡庸な組織の一員である自分と、事実を検証しながら『社会』の一員として生きたい私。 [雑感]

混迷を極める都知事選。
脱原発なんだか生活なんだかの二元論まで現れる。(脱原発は社会保障の在り方の象徴にもみえるから切れないと思うけど)そこに安全保障を携えたオリンピックも絡ませる。安全保障という国家の命題も担保にしたりでなんだかな。

ここで、よくわからない『神話』がいろいろと盾になることに気がつきました。
脱原発で電気代が上がる?もよくわからない。
これだけ対人間、対環境にコストをかけていてなんで安価なんだろう?不浄を嫌う風評被害のせいなの?保障も保険も十分とも言えないまま別立てにして成立させるマジックは、リボ払いが安いと言ってみせるだけに思えるのだけど。一時的な延命にすがらなくてはいけない逼迫した事例に頼らないで欲しいと思ったりする。

のだけど、この『原発安価神話』の話は噛み付かれるので、なんだか面倒。別の『神話』の話にします。

鎌仲ひとみ監督
「原爆投下は正当だった、おかげで最小限の犠牲で済んだ、との見方がアメリカ国内では根強い。原爆を正当化する心理と、戦死した日本兵を英霊と呼ぶ心理はどこか通じたものがあるように思われる。」

官僚「共和党政権だったら靖国に参拝しても干渉しないのに。」二つのアメリカのうち、今は正当化物語の側にあると思ってよいのかな。

あれ?これも噛み付かれる話だなぁ。国家の命題だから聖域なの?検証するのは神を恐れぬサヨクと遠ざけてみせるようだから、これも『神話』と考えてみよう。原爆投下神話と英霊神話。
どちらも正当化と美化だもの。


で、なんで神話が必要なの?

「近代社会は『社会』というボディに道具として国家と経済があるという自立の思想のもとにあった。
経済が自由化したので焼畑農業のように、社会が問題にしたら出て行けばいいだけ。社会はどうでも経済はまわる。
経済のパワーホルダーは社会を保障しようという意欲を持たない。中国の環境が悪くなっても、次はベトナムがある、次はミャンマーまで。

政治も同じで、社会が本体で、政治と国家は道具という考え方。ところが昔は社会のねずみより国家の暴走の方が怖いという世が、テクノロジーの発達で、推定無罪→有罪にと世界が動き出す。安全保障をもとに政治も社会がなくてもまわるようになる。よりミニタリーなものを要求するようになり、そこだけ資産を集中すればまわるようになる。社会がなくても国家が成り立つんです。」

と宮台真司氏。

こんなふうに社会を置き去りにして歩いている経済と政治。その整合が成り立たなくなった時に『神話』が必要なんでしょうね。

そして、『神話に埋没』して『社会』の一員であるより経済と国家の一員であることを無自覚に選んでいる人々の凡庸さの積み重ねが、『社会』を忘れさせているようです。

それはそのムラの住民じゃなくて、仲間内の承認を糧に生きる私達の姿でも。

以下はナチスのアイヒマン裁判を題材にした映画『ハンナ・アーレント』をみた方とのやりとりです。(アイヒマンはユダヤ人を強制収容所に送りこんだ戦犯として裁かれますが「仕事をこなしたまで。」と繰り返して罪の意識がありませんでした。)

(転載)
●「仕方ない」という決まり文句を錦の御旗に「社会」に無関心を決め込む。ごく普通の人間の日々の言動が、想像を絶する結果を招く。アイヒマンのような人間は、至る所に存在する。考えることを止めれば、あるいは暗黙のうちに禁じられれば、悪の陳腐さが蔓延る。 
[新月]「勤労させて考えさせない」コントロール。コーポラティズムがそれを後押ししているからこそ、自覚したいですよね!
●アウシュビッツの標語 ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になれる)を思い出しました。「働けば、(自分の頭で考える煩わしさから)自由になれる」という寸法ですな。(以上)

生活、勤労で思考停止を狙う層の存在も自覚したいところです。(格差社会アメリカでは通説)
アメリカ国民の半分?は「神話」に疑念的。事実の検証をもとにイラク戦争を演出した広告代理店に気がついたり、格差社会の悲惨を労組やNPOや報道、文化人が救い上げて、自覚させる方向に機能しているんですね。近代社会の自立の理念が浸透してるんでしょう。さすがです。神話に埋没することを大人の振る舞いにさせません。ニーズと正解の振る舞いより『社会』の一員であることを自覚する一歩が必要なんでしょう。

そして、日本で忘れてはいけないのが、安全保障に向かう世界の流れの先端!秘密保護法。

『社会』を無視した経済と国家には事実より神話が必要なんだとすれば、容易に必要性がつながります。

『社会』の一員ではなく、国家の一員であることを裏付ける神話の為には事実は邪魔。だからこそ機密文書は平気で廃棄してきた日本。欧米からの文書でやっと歴史の検証をする有様は近代国家なのやら。今までがこんな状態なんですね。

更に戦後処理同様(周恩来テーゼなど)正当化物語に埋没することを選ぶ国民性。更に特定機密保護法。その運用の目指す先はこう見えます。

神話を神話にする為のもの。




・『社会』を無視した経済と国家には事実より神話が必要なんだろな。正当化物語、安全神話に原発安価神話に英霊神話。そして、神話に埋没して『社会』の一員であるより経済と国家の一員であることを無自覚に選ぶ凡庸さの積み重ねが『社会』を忘れさせる。生活、勤労で思考停止を狙う層の存在も自覚したい。(格差社会米国では通説)

・『社会』を無視した経済と国家には事実より神話が必要のよう。機密文書を平気で廃棄してきた日本。欧米からの文書でやっと歴史の検証をする有様は近代国家なのか。戦後処理同様、神話に埋没することを選ぶ国民性。更に保護法。運用の目指す先は神話を神話にする為のもの。

宗教国家日本考 [雑感]

あけましておめでとうございます。

新年あけて早々夜中から、今年は妙に激しいお囃子を聴きながら宗教国家日本考。みっともない憲法を改正したいという首相の真意を考えました。

神の作った地球が回るはずがないとした時代と同じ。思うに、日本国を作ったのが神なのだから、国家権力の暴走を國民が監視するなんて畏れ多いことをよくもサヨクめ、というのが本音と仮定してみます。

西欧近代システム(立憲、資本、民主)への閉塞が、原理的シオクラシー(神聖政治のこと。ユダヤ教、平安時代など)を推している。そこに米国からの自立があるなら沖縄知事もほだされるわけでしょう。

このシオクラシーは明治以後、吉田松蔭らが日本神話を再構築した一神教基督教原理を模した神話をベースにしていそう。だから基督教の「神が作ったものは規則正しい」(無理数を認めなかったピタゴラス等々)という思想も含まれていて、弱者難病者は穢れだから切捨て法案続出なのかもと思うとなんだかいろいろ合点が行くんですよね。この美意識…。そうなったら基督教の救済精神どこへで松蔭はどう思うのでしょう。

また、古来神話の日本を統一するにあたっての暴力部分だけを視て正当化していそう。統一を邪魔するものは、やまたの大蛇、鬼(他者)として片付けます。不当逮捕の増加は噂だけ?布教だから話し合いも進言もできません。美意識に自然環境やら多様性は含まれない宗教。むしろ公共事業と軍事という権力のもつ暴力こそ弱者に役割を持たせて救済する美しい手段として掲げます。ただの利用なんですが…。そして美しいから国際的にも認められて当然という驕りもありそうです。

神は当然、民の為にあるのではないけれど為政者は?日本は一神教ではないことも忘れないで欲しいものです。神が望むことを決めるのは誰?神話にあるという「世は民の為にある」という一節を見落としていないかしら。

秘密法案にしても米国と対等が当然+国の政の神聖視では?
日本の良さは近代契約が無くても(絶対の危険性をあいまいさで包む)から回っていたところなのに、(絶対の危険性をあいまいに絶対たらしめる)という、日本的な素晴らしさを欠如に変える愚弄にみえます。
順法精神の美点も自主規制をさせ活力を削ぐ方向に働かせているようです。内向きが理想なのかしら。


国際的な振る舞いの変化はどうなるかしら。ユダヤ教はじめ宗教的縛りがないとほぼ何をしてもいいのが人間。(日本は主に母性原理故の空気と身内の眼が縛り)このシオクラシーの道義の縛りは、むしろ弱者を序列化、利用することは良しとして無慈悲なグローバルを繰り広げそうな予感も。経済植民地の入れ子の拡大。米国は帝国手法を模倣する先。自国も他国も土壌は汚さないで欲しいもの。願いが過ぎるかな。現実だからしょうがないで歴史は何を招いたかな。

さて、もしこの通りなら心理的ベースにあったものの正体は。
今年はこの国の中空構造を持つ本来の神話と、明治の統一用に作られた神話と、そして今の、美しい秩序で皆が幸せに平和になる為だという神話との違いを確認してみようかな。カルトを他者として処理してきた戦後の反省を活かして。
初日の出に祈ります。日の本の国、日本。太陽が銀河を公転してると話して裁判にかけられませんように。


あぁ、新年早々ややこしい話ですみません。
夕べは手巻き寿司につぐ夜中のお蕎麦でお腹いっぱい。お蕎麦屋さんのお蕎麦なんで丁寧に一人前ずつ50秒ずつ茹でてから水で締めてぬめりをとってエビ天と食べました。茹で加減もよく蕎麦の味が濃くて最高。長く細く
美味しいものの食べられる年でありますように。
今年もよろしくお願いします*\(^o^)/*




【追記】1/6 
こんな『知性』に巡り合えてとりあえずは人心地着きました(^O^)/

田中優子 法政大教授『靖国神社は、伊勢神宮を頂点とする神社本庁組織の中に入っていない。国家によって理念的に作られた神社もどきであって、土地と結びついた伝統的な日本神社ではない。いわば「新興宗教」の類い』http://t.co/yrFpAK0Nh2

岩上安身『今なお日本が明治から始まる侵略的な帝国主義の尻尾を断ち切ることができないのは、なぜか。理由は様々〜、満州事変以降の昭和の軍部の暴走だけを取り上げ、その土台をなした明治の時代精神を振り返らず、手つかずに残してきたからではないか』http://t.co/4FfRmM9Xan

現代にも勝海舟と尾崎行雄のスピリッツが蘇りますよう切望します。


1/8 西欧が立憲主義に政教分離と絶対的なものを分離させてバランスを得てきたものを、日本はわざわざ曖昧に融合して絶対たらしめる。アイデンティティがないことに気がついての父性的絶対を求める手段が融合という状態は実に興味深い。中空への父性発露。絶対的なものに対して①祀る②俗化する③対峙するという内在化と④否定するの選択肢があると考えると、今回示された方向は②から①に移行しての内在化。西欧の③(分離によってなし得る民主という内在化)は放棄といいつつ、③を知って明治期に始めて触れた概念「愛国」を用いて、それを伝統と言い切る矛盾。
下手なパクリ音楽を聞かされている気分。

1/18 あと一つ脅威にさらされた時の内在化の手段として【⑤真似する!】自民党の改憲案と中国の憲法はよく似ているんだとか。日本の為政者は反射的に脅威国の真似をするんだろな。明治の帝国主義もだし。これを忘れてはいけませんでした。

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